おしゃれに見えないのは、センスの問題ではない
今の自分のことを具体的につかんでいなければ
「今の自分を輝かせる服」を選ぶことはできませんもし、どうしても自分がおしゃれに思えないとしたら、それは
「自分らしさ」というものを、自分で見つけられていないからでは
ないでしょうか。今の自分に、自分で向き合っていないのではないでしょうか?着ることに迷ったり、苦手だったりする人は、人生でもつい
よそ見をしたり、脇道にそれてしまったりして、自分がわからなく
なってしまっているのではないでしょうか。つまり、生き方が不器用だと、着方も不器用になってしまうということ。
耳が痛いことで。たしかに「何がおしゃれか分からない!」って状態は自分も迷走してるときだったりするかもしれない。でも誰でも苦手分野ってあるからね。好きな服着ていい!って言われてもそうすんなりといかないのも現実で。
別にこの本を批判するわけではないけど、むしろこの本よかったけど。生き方不器用でもいいんじゃないって思う。器用に生きてる人ってつまんないじゃないですか。何でもコスパとか将来性とか安定性とか考えて仕事や人生選択して失敗しないように挫折しないように道に外れないように無駄づかいせずにせっせと貯蓄して親孝行して老後に備えて・・・みたいな日本社会が潜在的に求めてる「女性像」みたいな像なぞって生きてもね、人生に満足感なんてあんまり感じないと思うんだけど。大病して死に際に人生振り返ったとき「もっと自由に生きればよかった・・・」なんて思うのがオチだな。むしろ例えば離婚してシングルマザーで必死に働いて子ども巣立たせて自由になって・・・みたいに自立して生きてる人の方がよっぽど魅力的なんだけど。自分には真似できないという部分もあるかもしれない。
分かってないことが問題なんじゃなくて悩んでない、考えてない、流されてる、自分の意思を殺してる方が問題のような気がする。世の中そんな人ばっか。自分含め自分の生きたいとおりに生きてる人はわずかしかいない。みんな偽って生きてるから。これが幸せ、これが正解、これで満足って。だから着る服に迷う。いつもと違うものに強い拒否感を感じて結局は人に流される。