幸福感はお金だけで決まるものではないので、ここでいう「経済感覚」にはもっと広い意味合いがあります。とくにこれからの世界で考えなければいけないのは「お金」と「時間」のどちらを大事にするかという問題でしょう。
人生を考える際には大きく分けて2つの基本方針があります。「時間を切り売りしてお金を稼ぐ」のか。それとも、「自由に使える時間を手に入れる」のか。どちらを選ぶかはそれぞれの価値観次第ですが、少なくとも僕は後者が自分にとって幸せな生き方だと考えて、いまの仕事(研究者)を選びました。
たとえば医師や弁護士は、お金を稼ぐには良い職業でしょうが自由に使える時間はほとんどありません。でも大学の教員は講義や会議以外の時間をかなり自由に、研究するのに使えます。
ただし、それは「余暇」がたくさんあるということではありません。「余暇」が欲しいなら、むしろ時間を切り売りするほうを選ぶでしょう。そちらを選んだ場合、時給を上げることができれば余暇は増えます。逆に、時給の低いブラックな仕事だと、余暇はなかなか得られません。
このように、時間を切り売りする仕事を選ぶと、人生は「お金を稼ぐ時間」と「休む時間」に分かれます。すると、いわゆる「ワーク・ライフ・バランス」を考えざるを得ません。
でも、それは万人に当てはまる考え方ではありません。ワーク・ライフ・バランスが問題になるのは、「好きなこと」「やりたいこと」を仕事にしていないからです。解決したい問題がある人間、僕だったら研究ですがそういう人は、できることなら1日24時間、1年365日をそれに費やしたい。
だから僕は、時間を切り売りしてお金を稼ぐのではなく、自由な時間をより多く得られる仕事を選んでいるわけです。ワーク・ライフ・バランスなんて考えたこともないし、その概念自体が僕には必要ありません。
一日やってても飽きないこと。365日取り組みたいことがある人は真の幸せ者だと思う。少なくともほとんどの人はそんなの持ってない、見つけてない。食べるために仕方なくとか、さすがに24時間できるほど熱中してないとか。欧米でもさっさと稼いで引退するのが最高の人生設計って言われるのはみんな好きなことを仕事にできてないから。本当に好きだったら引退しても仕事に戻ってくる。実際そういう人多いらしい。そこで仕事好きだったって気づく人。
若いうちに自分が好きなものを見つけられたらそれはすごく幸せなこと。小学生の頃はいっぱい好きなこと見つけるのにそれをことごとく潰すのが親。大人になれば先入観がありすぎて本当に好きなことなんてほとんど見つからない。万が一見つけたとしてもそれを仕事にしようとしない、世間体が邪魔して、プライドが邪魔してできないのに。
だから幼い頃の「好き」は本当馬鹿にできない。そこに自分の人生を幸せにするヒントが絶対ある。私は今になって小学校の卒業式で発表した夢を近いうちに現実にしたいと思ってる。今ならできる気がしてる。それはお金とか経験があるからとかじゃなく、本当に好きな事なら一生懸命に取り組めることがわかってるから。途中であきらめないから。それができたら絶対に幸せになれるとわかってるから。夢を現実にできる確信があるからやれる。若い時はそれがないんだよね。