糖質制限とか一日一食とか置き換えドリンクとか断食とかローフードとか
ベジタリアンとか粗食とかフルータニアン、ナチュラルハイジーン・・・
まーいろいろ手を出して来ましたけど、結局そんな極端な方法の中に継続
できるものなんかなくて、1周回って気づいてよかったなあと思ってます。
やっぱり何事も経験しないとダメってことはわからないし、逆に人によって
はOKってことがあり得るから。

でも極端な食生活をやってる、紹介してる人を見て思うのはあれはある種の
「信仰」だってことですね。何を信じるか。そこに科学的根拠とか必要なし。
ただ体にいいと思った人はやればいい。そこに減量効果とか健康増進とか
見込むのはナンセンス。騙された!ってなってるし、だまされてるなあって
端から見れば思うわけで。そんなもの「個人的な感想」に過ぎないのでだから
自分も痩せられるって思うのはどうかしてますね。

よく新しいダイエット法に取り組むときに「1回ぐらい騙されてみよう」とか
「この人になら騙されてもいい」って言いながらついてくる人いるんですが
(ここにもそういう人いっぱい来る)でもそれって結局自分の責任で失敗した
くないってことの現れで。もし上手くいかなかったときに自分のせいじゃなくて
他人のせいや商品のせいにしたいだけなんですよね。
それじゃあ上手くいくものも上手くいかないですよね。コミットしてないわけ
だから。

年取ってそのスタンスが怖いのはいろいろ取返しがつかなくなることですね。
変な食事療法に手を出して、筋肉量、骨量の低下、貧血、ホルモン分泌の異常
精神的不安定、睡眠サイクルの異常、代謝異常・・・。若い時は一時的に不調
になったとしても体力で何とかなるけど年取るとどーにもならない。それが
一生の傷になって将来の罹患リスクを跳ね上げることになってたりする。

医学的な知識、栄養学の知識を無視しても「これは正しい」と思うのは信仰以外の
何物でもない。宗教ですね。どんなに非常識に思えることでもハマっちゃうのが
宗教の怖いところ。洗脳される側に一定の知性がないとヤバい方にずるずるいっちゃう。
捨て教、貯金教、糖質制限教、一日一食教、ビーガン教。全部宗教。
自分の意志でしか抜け出せないやつ。家族が信者になると超めんどくさい奴。

その宗教から抜けると、見えてた世界の狭さにやっと気づくんです。ああちゃんと食べて
ちゃんと自由に生きる方法ってあったんだみたいな。なんて人生損してたんだって。
人は自分が見たい現実しか見てない。読む本のジャンルや傾向が偏ってくるのはそういう
本だけを読みたい、読んであえて洗脳したいだけだったりする。宗教にハマる人もハマりたい
からハマってる。拠り所が欲しいだけ。これだけ信じていればほかはオールハッピーみたいに。
この人に影響されて~とかいろんな本読んで結局~みたいな経緯を正当化して人は主張しますが
何のことはない自ら洗脳されたがっている、すすんでハマりに行ってる、だからハマる。

特に変な食事法にハマる人と言うのは特徴的で、もともと太りやすい、食に執着がある、節約家、
プライドが高い、自信過剰。自分ならやれるって思ってる。極端な方法でも有名人が紹介していれば
自分にもできると信じてる。本当はそんな能力ないのにまあまあ器用で真面目なので初期はつまづかない。
だから合ってると勘違いする。これが迷走してるダイエッターの行く道。経験あるから間違いなし(笑)

挫折するタイミングは食事の大切さ、有難さ、楽しさに気づいたとき。本当に心から食事が楽しいと思えた
とき。だから逆に言えば、減量したいけど食事がストレス、食事が面倒って思ってるときはそういう楽しみを
忘れてるとき。だから太ったっていうこともあるんだけど。一日3回もある、準備も含めると生活の多くを占
めている食事を楽しめてない、ただの義務的な栄養補給になってる、支度が面倒くさいってなってるときは太
りやすいし変な食事にハマりやすい。心身が弱ってるとき、ストレスが多い時、人生悩んでるときそんな時に
人は太る、迷走する。

毎日朝から幸せで、食事を楽しめて、人生楽しめていたら、そんな不自然な事しようって思わない。
一食減らしたり、特定の栄養素がっつり削ったり、美味しくないドリンク飲んだり。そんな小手先の手法使わない。
だから毎日のつまらなさをまず見直すべきだと思う。食事にメス入れそうになったら注意信号。
食は命だから。命削ってまでやることってそんなにない。自分がただただ弱くなってるだけだから。