突然ですが、私ってなぜか昔から

美女

にやたら気に入られるっていう性質の女子だったんですよ。

 

なぜだとおもいます?

 

まあぶっちゃけ引き立て役に最適な平凡な容姿だからです。

隣にいる子が例えば格別にブスだと美女の魂胆(私が引きたつ)が丸見えになっちゃうから
意外に都合が悪い。

だからアンバランスさが悪目立ちしない程度のソコソコの容姿。
これが美女には意外に必要なアイテムなんですよね。

特に学生時代は美女だけにいろいろと煩わしいことがあるのも確かです。
変な嫉妬されたり、無駄に注目を浴びたり。

いつも非日常を送っているような彼女たちは平々凡々な私のような存在が必要な訳ですね。
褒めるでもなく妬むでもなくごくフツーに接してくれる人間が私だけだったんです。

そう。

私は美女だからっておだてたり気を引こうとがんばったり一切してなかった。
というかそんなこと考えたことすらなかったんです。

これが美女受けがよかった理由のひとつでもあります。

美女ってほめ言葉とかお世辞とか聞きなれてますから。
もう特に必要としてないんですね。
でも妬み女子はいちいちいちいちそこを突っ込む。
ことあるごとに○○ちゃんは可愛いから、美人だからと。

純粋にほめ言葉も中にはあったかもしれませんが美女にしたら

対応がめんどくさい

んですよ。うざいぐらいに言われてるから。
肯定するのもダメだし、否定するのもだめ。そんなことに気を遣うのに
うんざりしてるわけですよ。

そこで私みたいなお世辞のひとつも言わないような子がいると

すごい楽

みたいなんですよね。

私は女性の美ってビジュアルにプラスして知性が絶対必要っていう考えを
中学生ぐらいから確固たる信念として持ってたもんですから(早熟だな、おい)

ただの美女

に対しては何とも思ってなかったんですよね。

ああ、ご両親から素晴らしいものを受け継がれたんだな。
目の保養だな。

 

ほんとこんな感じでした。
だから学校一の美女と言われていた女の子ともクラスが違っても
当時流行っていた手紙の交換なんかをしてみんなに羨ましがられてたんですよね。

ただの妬み女子には

どうやって仲良くなったのぉ~~
超うらやましーーー

本心→(なんでお前みたいなブスが美女と友達なんだよっ)

ってよく言われてましたね。
地味な真面目女子なのにリア充のモテる美女と実は仲がいいみたいな。
そういうポジションにいたわけですよ。

ここで何が言いたいかっていうと美女と仲良くできる自分を
自慢してるわけじゃなくて(そもそも自慢にならない)

美女がいかに美女として君臨しているか

ということがそばにいてひしひしと感じることができたということです。

 

そもそも美女というのは20代まではほぼ親の遺伝子で決まるように思います。
まして中学、高校時代の美女なんて100パー親のおかげです。
でもやっぱり美女の何が異常かって言ったら

 

美への執着

これが凄かった。私が知る限り。

 

ほんの少しの脂肪も許さないストイックさ

が中学生ですでにあったんですよ。
たまげましたね。
私はというと当時ファッションにも無頓着で美容やダイエットなんて関心ゼロ。
興味があったのは部活と本と漫画とテレビドラマぐらい。

中学生で美女と付き合うようになって初めて

美の世界

というものを垣間見た気がしました。女の美への執念、執着、こだわり。
そういったものを知ってマジでびびっちゃいました。
私もこの世界にいずれ入っていくのか?そうなのか?
と考えることさえありましたね。

それぐらい美女たちの自分への関心度はずば抜けて高かったんです。

美女はやはり昔から美女であるために、男性から女性として見られる
時期が早いです。だから女に目覚めるのも早い。
中学生ですでに女としては10年選手なんです。

私レベルだと女として見られるのは小学校高学年ぐらいですから
中学生の時点ではまだ女としてはペーペーです(笑)

 

美女は早熟にならざるを得ない

 

こういう運命を背負っていた。
だから美に目覚めるのも早いし、若いゆえに深く突っ込んじゃう。
まあ環境にももちろん左右されるでしょうけど。姉がいるとかね。

だから私は美女を笑わせて普通に過ごさせてあげる代わりに

 

女としてビジュアルはどうあるべきか

 

これをひそかに学んでいました。
それはそれは勉強になりましたよ。なんせモテ術をリアルで体現してる人を
身近で見られるわけですから。
美への考え方を直接聞けるわけですから。

そこで学んだことを一言でいうと

 

自分に妥協するな

 

これですね。美女は自分にヒジョーに厳しかった。(容姿にはね)
だからデブとかブスとかをヒジョーに嫌悪していた。
生まれつきの顔は変えられないのでしょうがない部分もありますけど
それを差し引いても

 

なんの努力もしてないのは社会に対して失礼だ

 

ぐらいの考えを持っていました。
女としてできる努力はするべきだということです。

 

  • 太ってるなら痩せろ
  •  眉毛ボーボーなら整えろ
  •  ムダ毛は処理しろ
  •  ぼさぼさの髪をちゃんと整えろ
  •  唇は透明リップで保湿しろ
  •  爪は短く切りそろえろ
  •  だらしのない服は着るな

 

中学生でも女なんだから最低限の身だしなみは当然。
それすらしてない女子生徒を軽蔑してました。

確かに当時いたんですよ。女子なのに寝癖ついたまま
学校にきて肌もがさがさ、唇がさがさ、眉毛ボーボー・・・。

要は

人様を不快にしてはいけない

と美女はいつも考えているようでした。
特に美女は人に見られることがかなり多い。
いつも見られるのはうんざりだけどもうこれはこの顔に生まれてしまった宿命。
しょうがない。
だから見られるからには人を少しでも幸せにしたい
とまで思っていたかはわかりませんが

 

見る人を不快にだけはしないように

これは意識しているようでした。

 

私を見て不快になる人がいればそれは私の責任

 

そんな大人びた考えを持っていました。

 

ほかにも忘れられないのは実際にこうつぶやいた美女がいました。

 

普通の顔に生まれたかった

 

注目されることも褒められることも苦手だった彼女は
そういって悩んでましたね。

うらやましい悩みですが
中学生ぐらいだとまだ「美人の恩恵」もあまりなかったでしょうからね。
人にはわからない悩みってあるもんなんですよね。

 

美女のそばにいて美女の凄さも芯の強さも意外な悩みも知ってしまった私。

 

美人にはなれないけど

きれいでいる努力は怠ってはいけない

ということを学びました。
人は年齢と共に妥協することを覚えます。年齢を言い訳にして
周りのその他大勢を言い訳にして自分の欠点を見ないようにします。

でも美女の視点を思い出してください。

 

人様を不快にするのは自分の責任

 

わかります?

 

キレイでいるのはあなたのためではないんですよ。

あなたの自己満足だけのためじゃない。

 

誰かのため

 

なんです。
あなたのそばにいる家族かもしれない
あなたを見かける通りすがりの人かもしれない。

 

あなた以外の人のために

あなたはきれいでいる努力をするべきなんです。

 

 

周りの人を幸せにする

それが美女から学んだ女としてのひとつの生き方です。
人生は人に与えた分だけ自分に返ってくるようにできています。
逆に言えば人を不快にしてしまえば、それも自分に返ってくるということ。

 

あなたは大丈夫ですか?

 

あなたのその容姿は人を不快にしてないと断言できますか?

 

あなたのその容姿で誰かを幸せな気持ちにすることが

できていますか?