よく言われる食事のシーンですが、このシリーズはいちばん所帯じみているかも(笑)
子供に食べさせるため、どうしようもなく不器用な自炊の場面があったり。
食べるシーンは、登場人物の性癖や行動パターンを表す
典型的な方法
だと考えています。

堂場さんの小説で一番好きなのは食事の描写なんですが、やっぱり思い入れ強く書いてるんだな・・・。これ以外のシリーズでも特に

独身男性のやさぐれた食事シーン

が大好きで(笑)鳴沢了とか高城賢吾とか、「こういうの食べるんだ」とか彼らは警察官の設定なので食事の時間もめちゃくちゃだし、だいたいろくなもの食べられないんですけどコンビニのおにぎりを食べる様子も興味深くて。自由に食事してる毎日だと不自由に食事してる人たちが気になる。

他人の食事のこだわりとか嗜好って、家族以外にあんまり見えないでしょう。フィクションでもそれが見えると萌えます(笑)ああ、こんな人なんだなって。その人が垣間見えるのが嬉しいというか。一気に親近感わきますよねなぜか。

だから小説家の食のエッセイは大好物。基本的に食べることを書いてるエッセイはだいたい面白い。他人のこだわりって仰天するもの多いし、単純に強い興味がある。平松洋子さん堀井和子さん角田光代さん宮脇彩さんのエッセイ昔何度も読んだな。

いろんな人のいろんな食事を知るだけで自分の食事がいかに普通じゃないかに気づかされます。普通なんてないんだって。極私的なんだなって。だから人に食事指導を細かくやるのって意味あるのかなって思うんですよね。食べることって本能だから本能と嗜好に逆らってあれこれ強制してもそれは結局一時的なものでしかないんじゃないかと思うから。小さい頃からの食癖って変えられないし、太る人はそこを一番変えたくないと思ってるからこそ太ってるんでしょう。だからそこを無理やり変えようとするダイエットばっかりやってるから何度もリバウンドするんですよね。

変えちゃいけないところを変えて耐えられなくて挫折。そして一番変えるべきところをほとんどの人が押さえてなくて

そこ甘くしてたら一生脂肪減らないのに

って思うところをことごとく外してますね。特にフリーライダーはそう。どれが一番外せないのかが分かってないのでそういう人は大体うまくいってない。食生活を大した考えもないのにごっそり変えるってことはいい大人になって

お前の性格丸ごと変えろ

って言うぐらいむちゃくちゃなことなんですよ。それわかってない。だから中年太り体型が一生続く人がほとんどなわけです。病気して食べられなくなったりするとわかる。好きなものしか食べられないから。今は元気だから美容にアンチエイジングに凝った食事をできるかもしれないけど病気やけがになって何もかも面倒になったときの食事が一番自分らしい食事。それに合わせて食事改善していかないと結局人生で何かが起きて下り坂になった時にストレスのはけ口にまず食事が荒れてデブに転がり落ちる。

今まで何事もなく人生生きてきた人にはわかんないだろうけど精神的経済的な限界来てるときの食の欲求が一番自分らしい。その程度。たかが知れるってそういうとき。人生うまくいってるときは食事をちゃんとできるの当たりまえ。そうじゃないとき、病んでるとき、苦しい時そういうときにどんな食事をできるか?そういうギリギリの状態でどういう食事を欲しているかで本性が出る。その基準がデブのままだからリバウンドする。結局は環境で持ってただけ。自分自身が変わってないからそんなに簡単に自分が変わらないからみんなリバウンドするんです。