流行に乗ってバンバン物を捨ててた頃があったんですが、今になってほんと後悔しています。
なんか巷のミニマリストブログとやらには「捨てて後悔するものなんてなかった」とか書いて
ありますが、「いやいや後悔するのはこれからでしょ」って思ってるぐらい。なんか無理に
抑圧してんじゃない?って思うフシがある。
15年ぐらいまえでしたかね、捨て始めたの。けっこうハシリだったんですよ、当時。
断捨離が出始めたのがたぶん2008年ぐらいが最初だったんですよね。でもその前に
カレンキングストンさんのガラクタ捨てれば自分が見えるっていう2002年に出版された本に
出会ってるんですよね。出版されてすぐは読んでないと思うけど断捨離より前に捨て始めて
断捨離が出てきて「そーそーこれこれ」って思ったの覚えてます。でも当時カレンキングストンを
すでに読んでた人がいっぱいいて(風水にハマってた人は特にみんな読んでた)本のレビューには
「カレンさんの方が先だしそっちの方がいい」とか書かれてた。まあどっちがいいか別にしてすでに実践
してた人はそれなりにいたんですよね。だからブームがやっと来たかという感じで。
捨てるのを習慣化して10年15年経つと、やっぱりなんか違和感感じ始めましたね。
その間に家族構成とか居住環境とか価値観とか経済観念とか収入状況とか人としての成熟度が変わって
なければおそらく後悔なんてしないと思うんですが、まー人生変わってしまったから。
ビートたけしが言う「無駄は文化だ」って言葉がストンと腑に落ちてわかるようになった。

それに庶民が真似してるミニマリストって節約とセットじゃないですか。節約なんて自分のことしか
考えてないですもん。普通は社会に目を向けて経済回してる人間ならもっとメリハリのある生き方を
選択してるはずですよ。家とか車はミニマムでも食費や情報代にはマキシマムに使ってるとか。
でも庶民ってなんでも中途半端にしかできないから、少ない台所用品を使いまわして節約料理に励んで
車は中古の軽を所有して、小さな家を住宅ローンで買って、副業ブログでお小遣い稼いで貯蓄に回して
みたいなことしてミニマリスト!って言ってもね。真正のミニマリストなら、そんなちまちましたこと
しないでしょう。全部外食にしないと中途ハンパでしょ、タクシー使えばいいじゃん、都心賃貸でしょ
でも実際のところできないのはお金がないから。だから節約とミニマリストって本来両立しないですよ。
ドミニックさんだって文筆業で資産たんまりあるからああいう旅人みたいな生活ができるんであって。
お金ないとできない。お金ないと居住場所も時間も自由にならない。

この前、家にあったタオルを全部買い替えたんです。ぼろくなってたから。ミニマリスト時代の癖で
タオルは表がガーゼで薄くて軽いタオルを愛用してたんですよね。もちろんバスタオルは持ってなかった。
ミニマリスト的には洗濯と収納が大変になるのでバスタオル持たないのが当たり前だったんです。
まあそれと節約の意味もありますよね。かさばるし乾くのに時間がかかるし。手間がかかるというか。
でも数年ぶりに分厚くてふわふわしたタオルに買い替えたら気持ちいいのなんのって(笑)
家族も最初はふわふわのバスタオルがいいなって言ってたんです。でも我が家は室内干しと乾燥機だし
かさばるし私の希望でずっとフェイスタオルで体を拭いてもらって、薄いタオルを使ってもらってました。
でも慣れれば文句も言わなくなるので(笑)まあそれが普通だったんです。
でも私たち世代が想像する「普通のふわふわタオル」に変えたら、やっぱり家族は喜んでた。やっぱり
厚くて大きなタオルがいいよねってはしゃいでた。その顔をみたとき「あ、私やっぱり間違ってたわ・・」って
悟りました。そういう日常の中の小さな幸せを奪ってまでコスパ重視して生きることに何の意味もないわ
ってことに気づきました。たかがタオルで。たかがタオルされどタオル。タオル以外にも生活の中で
ちょっとした節約、ちょっとした手間を省こうとして、生活の楽しみを奪ってることってけっこう
多いと思います。それって日々の幸福感に大きく関わってきてるよね、絶対。

例えば家にマットをひかないってやってる家多いでしょ。洗うの大変だからって。私の知り合いはバスマット
買ったことがないって言ってた。その人のうちでもバスタオルはなくてフェイスタオルで体を拭いた後
床に落ちた水滴をそのタオルで拭いてすぐ洗濯するそう。あまりに合理的でびっくりしたものだけど
やっぱりそんな生活は私には無理だ。分厚いバスマットをひいた上に、足を乗せたときの安心感と
そのうえでふわふわのバスタオルを体に巻き付けて幸せを感じるあの瞬間を味わえないなんて何か
大事な感性が失われそうで悲しくなる。そういう生活のほんの一瞬って長年積み重なることでその人の
豊かさとか知性を作り出すんじゃないのって思う。

玄関や廊下や小さな家具の前、ソファの前にひくラグの模様を見て何かを想像する時間だったり
心を落ち着かせる時間だったり、家に帰ってきて「ああここが我が家だ」って思う瞬間だったり
素足でのせたときの気持ちいい感覚とか夏のひんやりした感覚とかそういうものが感性を育むんじゃないか
と思ったりもする。無機質、無味乾燥、超効率的な空間に身を置くのは大人なら嗜好のひとつとして
いいのかもしれないけどそこで育つ子どもにはどうなんでしょうね。どういうところが貧しくなるか
心配になります。

いまミニマリストを好んでやってる大人だって昔は大量のものに囲まれてたでしょう。
それが嫌になったっていう経緯はわかるけど、その物の中でこそ育まれた感性や人間性ってあるはずなんですよね。
だからものが多いからって悪いっていう今の風潮は甚だ疑問だし、人間の本能に逆らってる気はする。
生活の中で削ることで大きく幸福感を下げるものは確かにある。マットしかりタオルしかり。ほかにも
生花とか香りとかインテリアの質とか寝具類とか。(節約してたらまず買えない、買いたくないものばかり)

目に見えるもの感じるものすべてが節約志向、ミニマム志向のものでできていたら、きっと頭の中も貧しく
心も貧しくなっていく。じわじわ来る。人生をじわじわ浸食してくるから気づかなくて恐ろしい。
日本って心に余裕のないギスギスした社会にだんだんなっていってるけどそういう味気ない生活してる人が
増えてるなら当然の流れのように思いますね。