人間関係で苦しんでる人って、常に自分の価値観で相手の言動を考えるってやってますよね。
何であんなこと言うんだろう、何であんなことするんだろう、なんでなんで・・・。

それが全部自分基準になってるってことに気づいてない。むしろそれが普通で常識的だと思ってて
相手がすごく非常識なのかそれとも自分のことが嫌いなのかみたいなところで悩んでる。

この歳になって思うのは親だろうが夫だろうが息子だろうが親友だろうが結局自分とは違う人間なので
相手が考えていることや思っていることを完ぺきには分からない、それが当然だってことです。
もちろん自分の悪い点を振り返ることは必要ですけど、基本的にコミュニケーションがない状態で

どういう意味?
私が何か悪かった?
私のせい?

とか想像だけで考えるのは無駄です。私はそれをやめるように心がけています。とてつもない時間の無駄。
わからないなら聞けばいい。聞きにくいことを聞いてまで関係を修復したいのかで、その相手との
今後の関係の必要性に気づくというメリットもあります。
大して親しくもないママ友に、着ている服をディスられたり、何となく皮肉言われたり、嫌味言われたり
って昔はよくあってその時々に悶々と悩んだりショック受けたりしていましたけど今は淡々としています。
切るべき時は切る。そのタイミングがわかるから不毛な関係に時間と労力を割かなくていいからです。

嫌と言えるならその相手との関係は今後も続けたいということで、嫌と言えない関係はそれまでということです。
嫌と主張して相手と対峙するような面倒くさい道を選んでまで関係を続けたい人と言うのはそうそういませんから。
このブログでも同じです。嫌な人は来なければいい。私もそんな人とは早めに関係を断ちたい。
マーケティングとは客を選別することでもあるのです。客は私を選ぶし、私も客を選びます。

勝手な思い込みであれこれ悩んで時間を浪費している人を見ると昔の自分を見ているようで胸が痛みます。
結局他人のことだから考えてもよくわからないんです。
だって自分のことだってちゃんと分かってる人間いないじゃないですか。そんな中で他人を勝手に評価したり攻撃したり
関係を断ち切ったりってやってんですよ。人間ってどこまでも自分しか見てません。このブログを読んでるあなたも
自分の体型のことしか頭にない。そうでしょう?それが普通です。基本的に自分以外の人間は自分のことなんて
大して考えてもないし思いやってもいません。それが親子でも。子どものことが可愛いんじゃなくて、子育てをしている
ちゃんとした母親であるという自分が可愛かったりするんです。