新作が出れば必ず即買いする作家、江國香織さんです。私の中ではハルキスト並みに熱いです。
大好きな作家さんが年をとるごとに作品の質がどんどん上がって物凄くなっているのを
目の当たりにして「同じ時代に生まれてよかった・・・」と感激しております。
期待どおり、いや期待以上の作品でした。もうね、世界観はいつもの江國ワールドなんですが
作品のたびに新しい試みにチャレンジしていて、今回は小説の中の小説。これがいい具合に
ストーリーと絡み合っていてもう止まらない。ぐいぐい引き込まれてあっという間に読了。
そしてもう一度初めから読むみたいな(笑)
日常をこんなに丁寧に魅力的に描ける作家ってほかにいないと思います。
新刊が出たら文庫待ちしないで即買いするほど好きな作家って私の中ではほとんどいないんですが
何というか一人でもそういう人がいてよかったなあって思います。
嫌なことがあった日とか悲しいことがあった日とかちょっと弱ってるときに
〇〇さんの新刊が出る
って知ったときのあのワクワク感。あれが時々あるってだけでちょっと頑張れる。
たぶんそれが人によっては好きなアーティストの音楽だったり、週一のドラマだったりするんでしょうけど
私にとってそれは好きな作家の新刊です。なのであえて雑誌連載中の段階では情報を
収集しないようにしていて、本になって初めて知るようにして思いがけない喜びをわざと大きくさせるような
地味なこともやってます・・・(馬鹿)
誰かのファンになるってすごく人生にとって大事というか、「有り難い」ことなんですよね。
私はあまり人に好かれないタイプで・・・とか言う人いるんですけど、それって
誰かのファンになったことないんじゃない?
って思うことがある。誰かのファンになって寝ても覚めても会えない人のこと考えて
お金を惜しむことなく使って追いかけてってことやったことない人に「ファンがつく」って
難しいんじゃないかな。自分にファンがいるってことは自分のことを好きになってくれる
人がいるってことですよね。
誰かのファンになったこともない人が果たして周りの人間に好かれるのか?って思いますよ。
〇〇が好き
〇〇のファン
〇〇のサポーター
とか公言してフォローしたり応援したりしてる人ってはたから見て楽しそうじゃないですか。
キラキラしてるし、感情表現も豊かだし、自分の人生を相手の人生と重ね合わせて
涙したり、喜んだりってgive精神にあふれてるじゃないですか。見ててうれしくなっちゃうし。
やっぱり何かを好き!って言える人って強いんですよ。
この人は好き、この人は好きじゃないって意見を持つってリスクもあることでしょう?
逆の意見の人間と対立することになるわけだし、日本人は特に八方美人だし。
でもそれを言えちゃう、公言できちゃうっていうのはやっぱりその人の人間性というか。
芯があるんだろうし、裏表がないんだろうし、誠実なんだと思います。
アンチを恐れず、まっすぐに言える勇気があるからファンもつくんですよね。
アンチがいなければそもそも熱狂的と言えるレベルのファンはつかないわけですし。
誰かに憧れて嫉妬して妬んで自己嫌悪に陥って落ちて落ちて落ちて
奮起してそれをたびたび繰り返しながら私は今までの人生を送ってきました。
だから誰のファンでもない、特に好きな人はいない状態なんて糞つまらない人生だと思っています。
オタク万歳、マニア上等。
人生で何一つ深いところまで語れない人間と誰が仲良くなりたいと思うでしょうか。
広く浅く語る貴方と誰がもっと話をしたいと思うでしょうか。
みんなやってるようなありきたりの話をして何か変わるんでしょうか。
その人の生きざまとか人生観とか哲学とかそういうものが話の端々から垣間見えてこそ
人付き合いって楽しいんじゃないでしょうか。狭く深く深く。深く深く深く。
なんか影響されて?文学チックになってしまった・・・(恥)
仕事がらみでも恋愛がらみでもない場合、人が誰かに会う理由
もしくは会わない理由とは一体何なのだろう。そんなものがあるのだろうか。無難なものを選ぶというのは、謙虚なようでいて傲慢だ。
ダブルショーーーーーック
多くの人たちが、ありふれた、でも”かけがえのない”と形容する家族の瞬間
ずっとあとになって、失われてはじめて”あのときは幸福だった”とわかる類の瞬間だ。
それなのになぜ、ときどき自分は逃げ出したくなるのだろう。夫婦というのはグロテスクだ。
絆というのは日々の小さな不快さの積み重ねのことだ。