なんか悲しいですね。同じ母親同士なのにお互い叩きまくって。
乳児のこどもを預けるなんてありえない
エゴのために働くな
どうせお金が欲しいだけだろう
今時専業主婦なんて時代遅れ
税金ちゃんと払え
どうせ社会に必要とされてないだけでしょ
なんで日本って多様性というものを認めないんでしょうか。
人それぞれいろんな思いがあって人には言えない事情があって
子どもを預けて働いたり、働かなかったり、子どもを産まなかったり
産めなかったりっていう人がいるわけです。
3歳までは家で見るべきとか、預けられないのがわかっているのに産むなとか
東京から引っ越せばいいじゃんとか保育園のために引っ越すなんて馬鹿だとか。
そんなに他人を責める権利が自分にあると思ってるんでしょうか。
子どもを預けて外で働いている人も、家で子どもを見ている人も、いろんな形がありますけど
皆結局は社会のために生き、社会に生かされているのです。社会のために働き、社会のために子を育てる。
社会あってこその家庭です。叩く人間はその視点がすっぽり抜けています。
あなたの親も子も夫も友人も隣人も、みんなみんな社会に生かされています。
国のサービスを受け、時には手当をもらい、公共の道路や下水道、ガス、電気などのインフラを利用して
生活しています。生活に必要なものはすべて社会の中で使わせて頂いてるのです。
多様性のない社会だったら・・・と想像したら怖くなりませんか?
全員が同じだけのお金をもらうか稼ぐしかできなくて、みんな同じ家に住み、みんな子は一人だけ。
同じ仕事をして同じ時間に出勤して同じ時間に帰宅する。
どれだけ頑張ってもみんな同じ。頑張ってない人と同じ生活、同じ毎日・・・。
多様性って「ない」とおかしなものなのに、自分と違うことをやっている人間を糾弾する、しかも母親同士で。
恐ろしいです。若い子が子どもを産みたくないと思う気持ちもわかります。
人を平気で攻撃できる人間は、自分の不満だらけの人生を肯定したいからです。
そうしないと自分の生き方が否定されてしまって生きていけないからです。
自分の人生を否定しない代わりに必死になって他人の人生を否定するのです。これには終わりはありません。
その人間が
自分自身の人生の問題である
ということに気づかない限り、一生いがみ合いは続くことになります。
そういう争いを避けたいならただただ自分の人生の満足度をあげることです。
社会のために働き、社会に貢献し、社会からの恩恵を感じながらまた社会にそれを還元することです。
ただ毎日お金のために働いている人には分からないでしょうが、意識するだけで変わるものです。
まずは目の前にある仕事、あなたが明日やるべき仕事。これが果たして誰のためにあるのか?
よーく考えてみてください。その仕事にお金以外のものを見いだせないならその仕事はやめるべきです。
お金のためだけの仕事は一生つまらない人生でもオッケーな人だけが我慢できる仕事です。