何をやっても痩せないと嘆いているダイエッターを見ているといつも思うんですけど
特に視野が狭いんですよね。だから考えることに柔軟性はないし、寛容さもない感じ。
自分の価値観が凝り固まっていて、新しい考えを提示されても「できない」前提で
話を聞いているようです。今までのダイエットの常識で痩せられなかったのに
新しいことは頑なに拒否していれば痩せないのは当然です。
私は最近刺繍にどっぷりハマっているんですが、手芸の中のひとつである刺繍という扉を開けただけで
たくさんの出会いとか気づきで新しい波が自分の中に流れ込んできている感じがしています。
普段は交流しないような年齢層、コミュニティの人の生活を知り、ふれあい、普段は読まない
ような雑誌を手に取り、そこに紹介されている人の生き方を知り、今までは興味のなかった
イベントに足を運び、またそこに集まる人と交流し・・・。たったこれだけでも自分は
なんて狭い世界に生きていたんだと思いましたよ。
友だちには大人になってピアノを習い始めた人がいますが、その人もピアノを通じて
多くの人と出会い、新しい場所に行き、新しい生き方を知ったようでした。
趣味を増やすとか嗜好を広げるっていうのは大人の特権です。
お金と余暇時間の余裕を自分で作ることができるからこそもらえる
「人生のオマケ」です。社会のために働くのも大事ですが
働いてる人にしかもらえないこのオマケは人生の豊かさを考えるうえで
とても重要な役割を果たしているように思います。
主婦とか普通の勤め人とかしていると新しい世界に触れる機会というものは
まず向こうからやってくるものではありません。
毎日同じ、ありきたりの毎日、毎日同じような人と出会い同じような話をする。
この繰り返しです。
人生における時間と場所の自由度が高い人というのは旅に出ることを好みますが
単純に自分の幅を広げれば人生が豊かになることを知っているからですね。
新しい場所に行き、普段会わないような人と会話すれば割と簡単に視野が広がります。
普通の生活をしている人間がそうそう旅には出れないのはわかります。
だからせめて、見聞を意識して広めないといけません。
そうしないとよくいる頑固爺、頑固婆になるんですね。
画一的で大衆向けのテレビばっかり流してないで、なるべくいいコンテンツに触れたほうがいいです。
映画見るなり、本を読むなり、「学び」の場を持つことです。
そしてそれだけでなくその極めた趣味や学びを「誰かに有料で提供できるかどうか?」という
視点も持ったほうがいいです。趣味というのはだいたい自分中心になりがちです。
お金もかかります。だから世の貧乏人はあまりやりたがらないしできないのです。
それをどう社会に提案してどう収益化するか?この視点さえあればデブにありがちな
自己中心的オタクになるのを避けることができます。
自分のためでなく社会のために何ができるか?を自分の行動と常に照らし合わせることが
できるようになると、この世界の裏側がよく見えるようになります。それがあなたの視野というものを
広げてくれるわけです。
何をやっても痩せないのは見るべきものが見えてないからです。
抽象的に言ってしまえばそういうことです。
具体的に言えば、考えが狭くて頭が貧しいということです。