他人の目を気にしなくなったとき、体型の崩壊は始まります。
あなたが学生の頃。
今日の洋服はどうかな?
髪型がいまいち決まらない・・・
ちょっとメイク濃いかも
暇さえあれな手鏡で顔をチェックしたり
街を歩きながらでもガラスがあれば自分の姿を映したり
してませんでしたか。
それが若さですかね。
自意識過剰気味の。
人は歳とともにわがままになっていきます。
自分の意見が一番正しいとしか思えない
自分が否定されるとどうしても受け入れられない
人の意見に合わせることが苦痛になってくる
これはある意味しょうがないことです。
だって若者とは違うんだから。
今までの人生で様々な苦難を乗り越えてきた自信とか
知識や経験を毎年積み重ねて成長してきたという自負とか
年下の人間が慕ってくれる、尊敬してくれてるから間違ってない
こういうのがある。誰にでもある。
歳を重ねて、うまいことやってきたほどあるはず。
人は歳をとるごとに
どんどん自分中心に物事を考えるようになります。
別に悪いことではないと思う。
だって人生は自分のものだから。
若いころは特にうまくいかないことのほうが多いし
上から指図されるだけの毎日というのが当たりまえ。
だからある程度自由に仕事ができる、自由に生活できる
という状況になれば自分中心に物事を考えるのはごく自然なことです。
ですがその自分中心が当たり前になってきた30代。
もうほとんどあなたを普段叱ってくれる人はいませんよね。
他人の気持ちを心から考えたり、納得いくまで想像したり
思いやったりすることってありますか?
昔はいつも教師とか親とか彼氏とか。
誰かの顔色を窺っていたのにね。
1日の生活のなかで「他人の気持ちを想像する」ことが
1回、2回、3回・・・・
となくなっていくとどうなるでしょうか?
そうなると
他人の目
という視点が欠如していきます。
要は自分から見た自分しか考えられなくなるわけです。
それが既定値になるのです。
日本では一般的に太った体型というのは
【不快】に感じます。
それは一般的な日本人の【美】の基準から外れているからです。
異質なものとして認識する
から不快に感じる人がいるということです。
人が美しいと感じるときの法則としては
シンメトリー(左右対称)が有名ですよね。例えばこれ、国会議事堂です。

左右対称の建物を見ると、人は安心感や美を感じるといいます。
それはどこにも「ずれ」や「ゆがみ」がないからです。
つまり人は違和感を感じると美しいと認識しないんですね。
骨格に不釣り合いな多すぎる脂肪。
あるべきところにくびれがない。
上半身を支えるには太すぎる脚。
違和感のオンパレードです。
基準から外れすぎですね。
太っているということは他人に違和感を感じさせるつまり
他人を不快にしているということを忘れてはいけません。
他人を不快にしているということを自覚していないのは
つまり人の気持ちを思いやっていないことにつながります。
なぜなら他人の気持ちを常に思いやる気持ちがあれば
他人を不快にしている状態をどうにか改善しようと
努力するはずだからです。
自分が他人を不快にしているのです。許せるはずがありません。
ですが実際はそんなふうに思ってる人はほとんどいません。
だれもが自分の体型が人を不快にしてるなんて考えたこともないし
自分のために痩せようと努力しています。
でも痩せたらわかるんです。
痩せていたことがある人ならわかるはずです。
デブは不快だと。
誰もはっきり言わないですけど。
デブは不快なんです。
だからみんな必死にダイエットするんです。
結局はそこです。
でももっと言えば不快なのは自分より他人です。
あなたが不快に思っている以上に他人はそう思ってます。
自分中心の考えから脱却するとそれがわかるはずです。
だからデブでいることは自己中心的な生活の究極なんです。
自己中思考の積み重ねでその体型になったといっても過言ではありません。
どんどん太っていくと外見なんてどうでもよくなります。
人がどう思おうと、どう感じようと、自分が空腹を満たすことができれば
いいんです。ほら自己中でしょ。
自暴自棄になるわけですね。それと同時に痩せたいのに食べたいという
こじれたストレスもたまっていく。最悪です。
痩せたいなら自己中心的な生活、自己中心的な思考をやめればいいだけです。
自分がどれだけ他人の気持ちを考えてないのか知るのもいい機会です。
結局人間は自分が一番かわいいんだから、自己中なのは当たり前なんです。
大事なのはそこからです。
【もともと自己中で自分大好きな人間】がどこまで他人を思いやれるかなのです。
※デブに横柄な人が多いのはこれに由来すると思う。